4年前のあの日、東日本大震災の起こった3月11日。私は金沢に住んでいて、見ていたテレビのミヤネ屋で地震の発生を知りました。その時は、そんな大地震だとは思いませんでした。金沢では揺れを感じなかったからです。 まもなく、どの局も緊急放送に切り替わり、東京のスタジオはまだ揺れ続けている様子が映していました。キャスターたちがヘルメットを被り叫ぶ光景で、尋常じゃないことが起きていると感じました。 震度5強を記録した東京で、保育士をしている娘に電話すると奇跡的に繋がりました。園児たちを園庭に避難させているが、何が起きたかわからない。と言っていたので、地震の概要を知らせたら少し落ち着いたようでした。 該当地以外からの情報は大事だと思いましたが、それ以後暫くは電話が繋がらなくなりました。 夕方、行きつけの喫茶店「珈琲のばん」に行くと、常連さんが、津波の様子が中継されているテレビを無言で見ていました。 テレビが映っていなければ、いつもと変わらない平和な風景です。金沢に住んでいた私には、今一つ何が起きたかピンと来ていません。この時、やがて全国規模の災厄になっていこうとは、知るよしもありませんでした。 その後の心境については、当時の日記に書かれており、今読んでも自分の尖りぶりに驚きます。あの時は、天候、時期、政権、全てのタイミングが悪い形で合ってしまった感がありました。 家に帰っても、当時自分が何をしていたか思い出せません。多分ずっとテレビ画面を見ていたのでしょう。 すると、その夜、固定電話が鳴りました。出ると「○○ちゃん?あ~、繋がった。よかった~」という見知らぬ声が。咄嗟に、東北に電話をかけている人なんだと悟りました。 「ごめんなさい、金沢にかかってるんですけど、お間違いじゃ?」 「え!?金沢ですか…」 相手の落胆する気持ちが伝わって来ました。 聞けば、世田谷区に住んでいる人ですが、陸前高田市に住む妹さんに電話してたが、繋がらなくて、何度もかけとようやく繋がったと思ったんだそうです。 陸前高田が津波で大きな被害が出ていることは、その時は知りませんでした。 「きっと大丈夫ですよ。ちゃんと逃げていますよ。」と、しか言えませんでしたが、その人は「そうですね。信じて連絡来るの待ってみます。見ず知らずの方にまでご心配かけました。ありがとうございます。」と言って、電話を切られました。 後に、陸前高田の被害状況を知るにつけ、この時、その方の電話番号とお名前を訊かなかったことを後悔しています。わかっていたらどういう状況であれ、知り合いの人として力になれたのにと。 その後、ボランティアにも行けない身としては、募金でしか貢献出来ないと、募金してきましたが、今の復興状況の遅さをみるにつけ、あの義援金は被災者の方にちゃんと届いたのか疑問視しているこの頃です。 そしてこんな記事を見ると、政府の無能ぶりを痛感するのは私だけではないはず。 『国が2013年度までの3年間に計上した東日本大震災の復興予算計約25兆円のうち、約5兆円が使われず、国庫に残ったままになっていたことが、会計検査院の調べでわかった。 国が自治体などに支出した「執行済み」の約20兆円についても、少なくとも約4兆円は実際には使われていなかった。 災害公営住宅(復興住宅)の整備の遅れなどが原因で、検査院は2日、事業の迅速化を求める報告書を国会に提出した。 検査院によると、11~13年度の復興予算計約25・1兆円のうち、国が13年度までに執行したのは約20・1兆円。執行率は80・1%で2年連続で上昇した。 ただ、このうち少なくとも約4・1兆円は支出先の自治体などが使い残していた。』 5兆円あったら、8万人の仮設住宅住まいの人が普通の家に住めるわ!そのお金を被災者の為に全部使っても私は文句言わない。公平に分配なんて出来ないんだから、必要な形で使ってほしい。間に入る業者の利益や地域の利権が絡むことだけは、許さない。 復興の全てを理解する、志の潔い大臣をたった一人でいいから選んでほしい。 まだ、震災は終わっていない。