2016/04/13の日記に書いた保育所を取り上げた「クローズアップ現代+」を妻も見ていたと言う事で、それを聞いた時に「死亡率は決して高くない」と言う話をしたらすかさず「素人と一緒でどうする」と言われました。素人以上の仕事を期待するのであれば、それなりの報酬を得るべきですが、現在の保育士はどちらかと言えば「子供が好きだから低賃金でもこの仕事に就きたい」と言う人の仕事であって、看護師のように「師」ではなく「士」を使っていることでもわかるように専門性の要求は(少なくともこれまでは)高くありません。 子供の安全性を確保するというのは、母親(正確には、現在の日本で一般的とされている母親像)の立場からは絶対で、もちろん、保育所は家庭と同等の安全性では許されないでしょう。また、家庭と同等と言うのは「全体として」であって子供の健康に積極的な情報収集をして安全性を確保している家庭と比べれば危険と言う事になるでしょう。総論として言えば、そういう親はおそらく高収入を確保しているので、高収入の親は高いお金を払って専門性の高い保育士(保育師?)のいる保育所に預けるか、世帯収入を落として家で子供を見ることになります。片親の収入で生活できる収入があれば、そういう選択も可能です。しかし、低収入の家庭では共働きでないと必要な収入が確保できず、低料金で預けたいというニーズがあります。それは当然、「貧乏人の子供は安全な保育環境を確保してもらえないのか」と言う批判につながるでしょう。実際には、子供をクルマに置き去りにしてパチンコに行く親の家庭と比べれば一般的な保育所でも十分「より安全」ではありますが、それはまあ別の問題ですし。 ここから2016/04/14の日記で書いた、これからの日本に低賃金労働者はいてはならないという話につながります。安全な保育環境を提供する専門家である「保育師」は「保育士」のような低賃金労働者ではありません。また、そういう高賃金専門職を大量に供給するなら低所得者層の子供が高度教育を受けられないなどと言う状況は放っておけませんし、子供の安全性も十分確保されなくてはなりません。しかし、全ての子供が高レベルの教育についていけるか、と言えばもちろん結果としての差は出てきます。そこで求められるのが、今度は2016/04/12の日記で書いた教える、教わるという技術です。言い方を変えると最低限の教育レベルがあれば専門的な仕事を任せられるように指導ができる技術です。当然、その「最低限」もどんどん底上げしていかなければ人口減少の中で総生産を向上させることなどできません。さらには、少ない人口をさらに減らすことにつながるので最低限に達しないからと切り捨てることもできません。保育所に限らず、様々な業界でこれをやれば総所得が向上する=経済成長が可能です。 福祉は経済成長につながらず、建築・土木の公共投資が経済成長につながる、と言うのは国土のインフラが充実していなかったうえに出生率が高かった時代の常識です。旧民主党の「コンクリートから人へ」と言うのは総論としては正しいのですが、単に公共投資を減らして福祉を充実させることばかりが強調され、こういう経済成長への裏付けがなかったことが最大の問題でしょう。と言うか、実際に単に教育費を助成するだけではこういったシナリオは実現できません。高度教育を受けた人材は既存の経済システムで高収入を得られる場所に流出するだけで彼らが批判する「バラ撒き」そのものにしかなりません。人口減少の中で経済成長を実現するモデルを実現できてこそ「ここで働こう」と言う気になるのです。ちなみに、建築・土木に関しての公共投資はなくすべきではない、と言う話はあるかと思いますが、少なくとも新設が優遇されている今の制度のままでは存続するべきではありません。自民党でも民進党でも共産党でも構いませんから、単なる感情論ではない福祉政策が提示されることを望みます。